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遥告鳥 [小説]

Category*短編
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遥告鳥



夏の邂逅。
彼だけに聞こえる夏。


人の正常と異常の合間は、いつ訪れるのだろう。

狂喜とは、果たして自認出来うるものなのだろうか。



初夏。
蝉が土中でまだもがいている頃、私は彼と出会った。
運命や、必然などという答えのない言葉を使うつもりはない。
ただ、出会ったのだ。
汗ひとつ垂らさず、ただ土を指で弄る私を見て、彼は怪訝そうな顔でこちらを見つめていた。
好意でも奇異でも恐怖でも、興味を引かれていたのは事実だったと思う。

「なにをしているのですか」

目深に被った帽子の鍔に手を添えながら、初夏にしては強く照りつける日差しに目を細め、聞いた。

私は彼に気づいたふりもする事なく、土に指の痕をつけている。
彼の細められずとも切れ長の目に、私はどう映っているのだろう?

時を持て余す、座食の者か、
気分が悪くなった病身の者と思われただろうか。
瞳に好奇の色はなく、恐れのようなものしか感じられなかった。

もしくは、それは私の方だっただろうか。

素足に蟻が這い、その感触に肌が粟立つ。
僅かに身じろいだ私に、彼が手を伸ばす。肩に静かに添えられる骨ばった右手に、生汗を感じた。

彼は、なぜそんなに怯えている?
見上げて顔を覗き見るが、表情は変わりない。

無言の間に堪え切れず、なにか言葉を繋げなければと焦る彼の動悸までも聞こえる気がする。

言葉はいらないでしょう。

未だに私の肩に置かれた彼の手に、私は自分の手を重ねた。
右手がびくりと身動ぎ、離れようとするのを私は逃さなかった。

目で家を示唆する。彼は私の意図を汲み取ったのか、一瞬右手に力が篭ったが、すぐに脱力した。
逃げられないと理解したのだと思った。もしくは、興味の喪失。

遠慮して首を振ろうとする彼の唇に自らを重ねた。
横目で、汗が頬を流れるのを見ていた。
彼はまるで彫像のように動かなくなり、私は瞬きすら忘れて彼の表情の変化を見逃すまいとしていた。
突き放す事なく、そっと私の両肩に手を添えると、静かに押した。
そして、僅かに震える右手で唇を拭うと、学徒帽に表情が隠れる。

私に触れた右手で、私の痕跡を消され、彼はまだ子供なのだと悟り、私は踵を返して帰る事にした。
放り投げられて転がっていた草履を指で掬うように拾い、ついでに彼を見たが
まだ唇を拭ったままの姿勢で停止しており、こちらを見る事もない。ただ、地面を見ている。

「蝉が、地上に頭を出し、息をする音が聞こえますか」

彼は視線の先の蝉が木に向かうのを見ていた。
意味が分からなかったので、私は彼を無視して家へ向かう。

「声を、聞かせてくれませんか」

私の求めには応じなかった割に、随分我儘な事を言う。
学徒なのは格好から分かるが、歳はそう変わらないように見える。
此れが子供なのは、心と貞操だけという事か。

「私は目が見えないのです」

なんの冗談かと思わず、わずかに目を見開き、彼を観察した。
目が合った事は一度もなかったが、それもわざと逸らしているのだと思っていたのだが。

近寄り、間近で彼を観察してみる。
彼の瞳は輝いて見えたし、くぐもってさえいなかった。

「わずかな光は見えるのですが、私にはあなたがどんな人なのかひとつとして知れない」

私に浮かんだひとつの疑問に彼は続けて答えた。

「私には蝉の息を継ぐ声が聞こえます。あなたがそれを見ていた事も、聞こえていました」

「私の息を継ぐ音では、なにも分からないのですか?」

彼はふっと顔を緩め、笑みがこぼれる。

「やっと答えてくださった」

木々の日陰の下で被っていた帽子を脱ぐと、それを胸に抱きながら、彼はまるで純真な乙女のように笑った。
色を写さない瞳は、まるで水棲生物が産んだばかりの卵のようにゆらゆらと輝いている。

「蝉の息を継ぐ音は、どんな音なのですか」

彼は焦らすように顔を地面へ向けた。瞳に色はない。唇には穏やかな笑み。

「人の死ぬ時の音に、似ています」

「死ぬ時の音?」

思わず鸚鵡返しをする私に、彼は笑みを向ける。

「すみません。変な事を言って。私は変人だと周りから言われているのです」

自虐的な笑みに変わり、瞳は哀しい色に染まった。
彼にはぼんやりとした景色しか見えていなかっただろうが、好奇を向ける周りの顔はありありと見えていただろう。

陽はいつもと変わらず照りつけている。
汗で額に張り付いた彼の髪を見て、蝉よりも夏を感じた。

「麦茶でも、飲んで行きませんか」

顔に一瞬、疑心を浮かばせたが、すぐに消えた。


すでに温くなり始めたコップに水の玉が浮いている。

重ねた手の平はただ熱く、時折吹く、ひやかしの風が汗ばんだ太股の熱を奪い去って行く。
間近に感じる彼の唇は少し震えているようだった。
主導権を握っているのは彼なのに。
いつも、なにに怯えているの?
自分の顔に注がれる視線に気づいたのか、彼は僅かに微笑んだ。

「そんなに見るものじゃありません」

「どうして分かるのです?」

彼はまた焦らすような時間を空け、縁側に瞳を向けた。
その瞳には、木々も空も鳥も、なにも映らない。

「私は生まれつきこうなもので、人と比べる術がない。だから、説明も難しいのですが…」

耳をなぞるようにつと触れてから、視線をふと上に向ける。

「恐らく、耳が人より良いのです。だから、色々な音が聞こえます。あなたにも聞こえぬような音も…」

「それは目が見える事より、或は役に立つものかもしれませんね」

「人は様々な自然を見て微々たる四季の移り変わりを感じるのでしょうが、私には音が聞こえる。春には蕾が開く音が聞こえ、夏には蝉の産声が、秋には枯葉の落ち重なる音が、冬には雪の積もる音が聞こえます」

ゆっくりと語るように言い終え、まだ少し呆けた頭と体の私の脛を摩る。

「人は、どのように聞こえるのですか」

彼は目を閉じ、ゆっくりと首を振った。

「人は、聞こえません」

「聞こえない? 私が見ていた事はなぜ分かったのですか」

「あれは音ではなく、空気を聞いたのです」

「それはなかなか超自然な答えですね」

私が笑うと彼は、さも不服そうに頷いた。

「私もそう思う。だから、説明するのは嫌いだ」

畳の上に盆ごとまるで忘れられたように置かれていたコップを手に取ると、小気味良い音を立てて飲み干して行く。
その少し機嫌を損ねた子供のような横顔を見ながら、問う。

「また、こうして会いに来てくれる?」

「…どうだろう。私はこんな風になるとは思わなかった」

「後悔を?」

「…どうだろう」

彼は空になったコップを持ったまま、外を見ている。
いや、見ているのか、なにかの音を聞いているのかは分からない。

正座をした、だいぶ熱の取れた太股に彼の頭を寝かすと、まだ濡れている髪を撫でた。

「乾かさないとね」

彼はなにも言わず、静かだ。眠ったのだろうか。
目を閉じると、彼の言う音が少しは聞こえるだろうか。
彼の聞く音が、聞いてみたい。
彼の見て来た孤独が、知りたい。


彼にはまだ蝉の息吹は聞こえているのだろうか。


花は、今日も、散っている。




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